「社会問題」か「個人の自由」か

以前、札幌市男女共同参画センターで講演させていただいて以来
情報誌「りぷる」をご送付いただいています。
毎号、エッジの鋭いテーマを特集されていて、楽しみに拝見させていただいておりまして、
最新の50号は日常に埋もれている「男らしい」「女らしい」という価値観に触れた時
札幌市内の10代120名アンケートから見えてくるジェンダーにまつわる「思い込み」のリアルです。

そして、コラムに登場していたのは、東洋大学・社会学部の高井昌吏教授
女子マネージャーの誕生とメディア―スポーツ文化におけるジェンダー形成という本で
もともとマネージャーといえば「男子マネージャー」が主流であったのが、
どのようにして女子マネージャーが一般的になっていったのかなどを丁寧に紐解いておられるので
是非お読みいただきたいが、今回のコラムで非常に「なるほど」と思ったのが

『「選手に提供するおにぎり作り(2年間で2万個)のために、
最難関校受験の選抜クラスから普通クラスへ転籍した」という女子マネの記事』は
美談なのか差別なのかという、教育論争やジェンダー論争にまで発展したことを事例に、

「学校における固定化した性別役割分業やジェンダー観」といった「社会の問題」に焦点を当てるか
「本人が好きで一生懸命やっていることは尊重されるべきだ」といった「個人の自由」に焦点を当てるか

によって議論の展開が変わるのはもちろんのこと
どの焦点、どのレンジで議論するのが正しいのか、を論ずる以前に

「女子運動部員を支える男子マネージャー」
「女子部員のために(2万個おにぎり作る)男子マネージャー」というケースはほとんど聞かない。

これは「個人の自由」以前に「社会の中で選択肢そのものが限られている」ことを顕している
…と書かれていた点です。
高井教授のコラムを読みたい方はこちらから

さて、これは企業に於いても全く同じです。

多様化が進んだ今、制度も充実してきていますので
「個人の自由」に流されがちですが
今一度、『本当にそうか?「社会(組織)の問題」ではないのか?』
と自組織を振り返ってみてほしいです。

企業研修の中でも認識の齟齬がよく出る
「女性管理職育成についての是非」についても
同じ構造ではないのか。

カテゴリを「個人の問題」と出来るほど
属性に関係なく「個人の選択肢」が多様で自由に出来る状態になっているか?

結果で測る化できるまでは「個人の自由」に隠れている
「社会(組織)の問題」として改革を推進していく必要がまだまだあるのだと思います。

Charamax

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