Noと言われ慣れること
半沢直樹が、なぜあんなにも視聴率をとれたのか?半沢直樹の魅力って何かなあ?
と考えたとき、一つは、
日本においては、相手に「No」と言いたいのに
言えない(言わない)コミュニケーションが利き手の方が多いので、
相手が上司・重役だろうと「NoはNo」と言える半沢直樹に
自分の代替行為をしてもらってスッキリする人も多かったのでは?と感じました。
さて、私は次女で幼き頃から要領がまあまあ良い方だったので
自ら、「どうしたら叱られないか(失敗しないか)」に腐心したところがあり
実はそんなに「No」と言われ慣れてはいません・・・が、しかし、
社会に出てから、多くの「No」を発信され、
それを受け取めていく経験を重ねることにより、ようやく
「No」は、決して自分への完全否定ではなく、
「No」は、決して自分への完全否定ではなく、
単に自分とは違う意見のボールが投げられただけで
議論スタートの合図であるということを学びました。
議論は苦手、面倒くさい、もしくは、辛いということで
自分を抑えて「Yes」といってしまうより
相手の意見も尊重しつつ尚、「No」というのは
中々ハードルが高いわけですが
相手と自分の着地点をともに探るというスタンスは
ダイバーシティに欠かせません。
議論スタートの合図であるということを学びました。
議論は苦手、面倒くさい、もしくは、辛いということで
自分を抑えて「Yes」といってしまうより
相手の意見も尊重しつつ尚、「No」というのは
中々ハードルが高いわけですが
相手と自分の着地点をともに探るというスタンスは
ダイバーシティに欠かせません。
まずは「No」と言われたと感じた時に
「そんなことないもん!OKだもん!」と
刹那に反応で自己防衛にまわるのではなく
「これって完全否定か?違うとしたら余地はどこか?」と
一呼吸おいて脳内で考えられる余裕を持つことは大事です。
よく「俺(私)は話聴いてる!」「俺(私)は話し合いの場を設けてるのに!」と
怒る方の多くは直接「会う」とか「話す」だけしかしていないと見受けます。
Noと言われた時こそ、相手の内面を慮るスタンスが大事。