“感謝”について考えてみる
時として、言葉はとても曖昧なので
言葉(WORD)自体は同じでも、
意味の捉え方や使い方の違いによって、ミス・コミュニケーションが起きたり、
それぞれの行動、積み重なるものが変わってきます。
最近“感謝”という言葉でそのことを考える機会がありました。
周りへの“感謝”の言葉を口にしているのですが、
自分のことに深く悩んでいる人がいるのです。
私は、メカニズムとして、自分が心から周りに感謝していたら、
相手への不安や不満はもちろん自分にも不安や不満って
生まれにくいのでは?と思っていたので、どういうことなんだろうと
話をすすめてみました。
「そんなの、心から感謝してないんじゃないの?」という疑問が生まれると思うのですが
本人は「感謝している」と言い切りますし、私も話していて
「それは本当にそう思っているだろう」と感じられます。
ただ、心からの「感謝」を「有り難い」に変えてみると、
字面の通り「有り難い」と思っているか?と言ったら
ちょっと違うように感じます。
例えば、
「上司には感謝してます。だって話を聴いてくれるんです!」
と言った言葉は同じでも
相手矢印の視点がある場合は、話の掘り下げが可能で
「部下が30人いる中で、忙しい中しっかりと時間を取ってくれるんです。」
この言葉から上司が話を聴いてくれることは「有り難いこと」だと本人が認識していることがうかがえます。
しかし、自分矢印の視点しかない場合は
「隣の課の上司はダメなんです。同期が嘆いています。次も●●さんみたいな人だったらいいなあ」
この場合、「有り難い」というよりは自分の「運」にフォーカスが当たっているように思います。
つまり「感謝」はしているけれども、「相手」に、というよりは
「私の幸運」に感謝している場合がある。
周りへの「有り難さ」を積み重ねた人生と
自分の「幸運」に焦点を当てて生きる人生とでは何が違うか
どんなことにも「有り難さ」を感じられるようになれば、不安も不平も不満も少ない人生になると思います。
しかし「幸運」という認識だと、所詮「運」なので、不安や不平や不満からは逃れられない。
周りに感謝している。本当に!と思っているならば
どんなことが「有り難い・在り難い」経験だったかを
忘れないようしっかり書き出してみると良いなあと思います。
その経験の数が多ければ多いほど、自分のキャリアから不安や不満が消えていくのだろうなと思います。
私の場合は
「この花キレイだね!」「そうだね!」といった会話を
息子さんと将来、出来るようになるかどうかはわかんないですよ。
と発達障害を診断された時の医師の言葉から、20年経って
「お母さん、コウノドリ観たいでしょ?遅くなるなら録画しとくよ」
と、気づかうようにまで成長してくれた息子を「当たり前」と捉えなければ
彼が自分の飲んだR-1ヨーグルトの瓶を外の牛乳BOXに朝、出し忘れていたとしても
「チっ」とか思っちゃいけないな。感謝だな、と思える。
そうすると、晴れやかに日々がスタートできる・・・。
こんなことを気づかさせてくれるということです。
「チっ」は、反応で、コントロールしづらい部分だと思います。
なので「チっ」と思ってしまう自分は赦します。
ただ、「チっ」と反応したままを積算するか、
瞬時にリセットし「ありがたい」を積算するかは、大きな違い・・・だと思います。