察してちゃんと慮りの違い

「察してちゃん」とは?
直接口にして伝えれば改善されることも、「察してほしいので、言わない」「気が付いてほしい」と禅問答のような応対や、婉曲に表現をすることを好む人のことです。

察してちゃんは、男にも女にもいます。
若いのも、若くないのもいます。
「自分の気持ち」を「相手に“察して”欲しい」から
直接的な表現はせず、わかりにくい表現で
自分の考えや気持ちを伝えます。そして、それで
相手が察することが出来なかったら、立腹する・・・。

プライベートのコミュニケーションでは、ある意味それも「プレイ」で済みますが
ビジネスコミュニケーション・組織で「察してちゃん」は、コミュニケーション・テロと言えましょう。
なぜならば、まったく分かりにくい暗喩ばかりを用いたり
主語を省いたりするので、周りではまったく
予期せぬところでその人が爆発することになるからです。

ダイバーシティを推進するときに価値観の違う相手には
「慮り」が必要で大切です。と伝えます。

しかし、慮りは、「自分が相手に配慮すること」で、
誰かに、相手に、それを「求めるモノ」ではないのです。

「他者を慮ること」は美しいですが
「他者に慮りを求めること」は美しくない。

察することも同様で、「察して欲しい」と相手に強要し
察してもらえないと「KYね!」「鈍感だな。」「気が利かない。」など
自分の話がまったく的を射てない、わかりにくいアウトプットであることを
棚に上げ、相手を責めることができる。・・・ある意味非常に能天気な人です。

とあるブログに、察してちゃんのダブルスタンダードについて書かれていました。
以下引用。

察してちゃんは、相手が自分の気持ちを察して動いた時に、
自分がそれを望んでいた時には、
黙って受け取る。

 別に自分が頼んだわけじゃなく、相手が勝手に動いたのだから、
負い目に思う必要も感謝する必要もが無く、黙って受け取るだけ。


 一方、自分がそれを望んでいなかったときには、
「余計なことをするな」で片付ける。
 そして、相手が自分の気持ちを察して動く、ということを
しなかった場合、「何故察してくれないの!?」と罵る。

 
 これを「察してちゃんのダブルスタンダード」と呼ぶ。

自分の「感情・気持ち」や「志向・思考」を、自分では無い人に、クイズのように問う
コミュニケーションを好む人

(例;私が彼にメールを送ったとき、私はどんな考えを持っていたと思う?
もう、こういうことを慮れなくては一人前ではないよ~!など)
これは立派な「察してちゃんコミュニケーション」といえましょう。

ミスコミュニケーションを無くすには
5W2H。主語や結語、目的や事実の明確化が大事です。

「彼は(彼女は)わかってくれるべき」というスタンスを手放し、
自分の言葉で、自分の責任で自分の考えを、
相手にわかるように、簡潔でストレートに表現出来る人はカッコイイですね!

「自分は黙して、不機嫌オーラを出す」ような
「相手に訊かれても、答えずに煙に巻く」ような
コミュニケーションの会社の人として、そんな人間にはなるまい。。。。
そんなことを思うスーパームーンな夜更けなのでした。

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