自分のこと“だけ”を主張しない社会づくり

このケース、上司と部下、どっちが悪い?

先日、たまたまこのような記事を見つけました。

この記事の筆者は、上司が悪いような書き方になっているように見受けましたが、
私としては、どちらとも言えないと思いました。

インフルエンザは予防接種などもあり、ある程度自衛(予防)することが可能です。
なので、上司が「健康管理も仕事のうち」という話もわかります。
迷惑がかかっている事は事実だからです。

朝礼で支店長から「みなさんインフルエンザに感染すると、いろいろな人に迷惑がかかります。かからないように十分体調管理をしてください」というのは全員に呼びかけるものであって

・インフルエンザにかかると迷惑がかかる
・体調管理をしっかりする

という事は全員に共通して当てはまる事で周知することに違和感は持てません。

また、

上司に怒鳴られた「優秀」な同期は仕事を辞めていった

とありますが、本当に優秀ならそれで辞めるのかどうか?も疑問に感じました。

「私は子供を看病してただけなのに」
「できるだけ会社に迷惑がかからないようにと、看病も家族で手分けして休んだのは1日だけで頑張ったのに」

というのは自己都合であって、会社には全く関係のない事だと思うからです。
ここだけ切り取られて文字にすると「気持ちが無い人」のように思われてしまうかもしれませんが

【人としてインフルエンザだけでなく体調を崩したら「大丈夫?」と声をかけるのは当たり前だと思う】のであれば【人としてインフルエンザで休んだら「すみませんでした」と謝るのも当たり前】だと思います。
風邪・インフルエンザのイラスト「マスクと鼻水の女性」

自分と他人の比較

一方で、この時の上司の問題は【自分と他人を比較している事】にあると思います。

たしかに、表面的には同じ39度の熱だったとしても、
多くの企業が、感染予防法5類というインフルエンザ罹患に関して、
「会社の規則で5日間休まねばならない」と規定しているわけで、
単なる風邪による高熱とは質が違う場合もあるからです。

それは他でも言える事であって、同じ病気でもそれぞれ症状の出方が異なります。
私の【双極性障がい】も本当に多種多様です。

私はありがたい事にこうして働く事ができていますが、働く事ができない人からは
「働けるなんて、双極性障がいじゃない!詐病だ!」
などと言われたこともありますが、私がたまたまその方よりも症状が軽いだけなのかもしれません。

他人と比較することは、例えば、自発的にモチベーションを上げるために
「あの人も頑張ってるから、私も頑張るぞ!」
という比べ方なら良いと思うのですが、第三者から強要されることではないと思うのです。

みんなが

「私はこんなに辛いのに頑張ってる」
「オレは大変だったのに頑張った」

と言い始めたらキリがありません。

例えば、飛行機や新幹線の中で赤ちゃんが泣いている時に

「泣きやませろ!」

という方がいたりしますが、それは他人ごとだからで、自己中心的な考えです。
また、もし、そこで、赤ちゃんの親も

「私も大変なのよ!」

なんて事を言い合うようになれば、それも自己中心的な考えになるでしょう。

【全員が自分と相手の双方の事を自分ごととして捉える】

ことが必要なのです。
そういう事なので、私も常に

「自分はやるべき事をやっているか」
「自分は他人を理解しようとしているか」

という視点を持ち続けなければならないな、と思いました!

 

編集後記

あくまでも批判をしたいのではなく

「全員が相手のことを考えられる社会にしていきたい!」

という思いで書きました!

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