自分の頭で考える
先月、Woomaxでは「ハンナ・アーレント」を東京スタッフ全員で観ることができました。
私は二度観て、やはり、恐ろしきは「悪の凡庸さ」である・・・に尽きるなと思いました。
2年前、このブログで
700年前に書かれたアーサー王伝説「カヴェインの結婚」で
「すべての女性が最も望むものは何か?」について書かせていただきました。
自分の意思を持たない(考えない)と、
「六の宮の姫君」になってしまうということも。
しかし、「思考しない」「自分の意思を持たない」本人が
六の宮の姫になるのは「個人の自由」で済みますが
「悪の凡庸さ」の恐怖はその人個人ではなく、多くの他者を犠牲にするかもしれないという点です。
アーレントの映画を観た同時期に、
発言小町で高校二年生の女子による、
「語学学校で、教師に質問された時に答えがわからず
隣の友人に答えを聞いていたら、『私はあなたに質問をしている』
『自分の頭で考えなさい』と言われて、とても傷ついた。
学校にクレームを入れるよう親に頼もうと思う」
というお悩みが上がっていて、
本当に世も末だなと思っていたのですが、
おそらく市井の主婦を代表とする、多くの人から
多様な視点からのアドバイスをもらい
親からは叱られ、自分を省みることができ、
「今日の授業でもわからなかったので、わからないと言えた。
先生はどこがわからないのか聴いてくれ、その単語がでてきた
単元をクラスのみんなと復習してくれ、たどたどしくも答えることができた。
『わからない』と言えた自分は、親にクレーム入れてもらおうとした自分よりも
好きだと思う。これって自分で考えられていますか?」
と相談に乗ってくれた多くの人への感謝と共に自分で考えるを実践して
何を得たのか?そのプロセスを報告していたのです。
短期間の中での自己変容は本人に素直な心があったからでしょうが
なかなか意義深いスレッドであり、プロセスでした。
先日、仲間内で、「何も考えずに生きる人の方が幸せではないか?」という
問いがあがったのですが、
「アイヒマンのように他者に被害が出る可能性があるのに幸せと言っていいのか?」