お医者様の対話力
もうすぐ83歳になる母が6月に自宅で転倒しました。
5本指ソックスを履こうとして足を椅子にかけようとしてふらついて
頭から転倒したらしい・・・。
最初は自力で近所の外科に行き、鎮痛剤をもらって帰ってきたのですが
月日を経てだんだんと足が動かなくなるわ
右手も思うように動かず字が上手く書けなくなるわと本人が嘆く状態に・・・。
ということで、2週間前、近所のかかりつけ内科医に診てもらった時に
脳内に血がたまってるから手術するようにと
地元の老人医療センターへ救急車で運ばれたのですが
まあ、MRIだのCTだのレントゲンだの徹底的に検査して
「切って、脳内洗ってもこの手足の症状は変わらないのでは」という
医療センターの先生の見解のもと、様子を見ることに。
そして、本日、再度CTを撮影してみました。
すこーーーーーし血の量が減って脳のしわが映るようになった感じ。
依然として、足と右手は不具合を訴える母なのですが
今日の先生も、手術の必要なしとのこと。
この不具合は神経外科ではなく神経内科の疾患によるものかも・・・
ということで来週また検査になりました。
・・・と言葉で書くと一応、これで終わるのですが
老人(そして病人)との会話は用件のみの伝達だけでは済まされないのです。
「脳内の出血は減っている」
「症状の改善がみられないのは外科的要因ではなく、内科的要因かもしれない」
「内科的要因を探るべく神経内科の予約を取りましょう」
この三つを双方確認するまでに
「それ、この前、話したよね!」という2か月前の転倒時のプロセスも含め
今、どんな症状があるか(事象、しかし、非常に抽象的な表現)
何がつらいか(気持ち)を先生にも理解してほしくて説明するので、まあ~~~、時間がかかる。
母は自分のこの身体の不具合さが非常に鬱陶しく
その昔、伯父が同じように頭の血を抜いて快復した成功事例から
さっさと手術して治りたいという気持ちが一番なので
正直先生には「今日、切りましょう!」と言ってほしかったのでしょうが
先生も効果がさほど見られないと予見できるのに
「じゃあ、切りましょう!」なぞとは言ってくれるはずもなく。
「切らなくても仕方ないのか」と母の心中が納得するまで
まあ、とても感じよく、ループする母の話を聴いてくださる。
感動ものです。
また、内容が前に戻っても、あたかも、初めて聞いたかのように頷いてくださる。
決して、すぐに、まとめに入らない。
娘の私はドライに
「つまり、今回のことで、手術は必要なしってことですよね!」
「では、神経内科で診てもらった方が良いってことですよね?」
と確認してしまうわけですが、
娘のバッサリ感にはめげずに、ループする母の話に対しても
きちんと「同感」してくださる。うーん。尊敬。
「素晴らしい傾聴力ですよね。やっぱり毎日の実践からなのですか?」
「仕事だからできるのですか?ご家族にも実践されているのですか?」とお聴きしてみたい。
しかし、ただでさえ回転率が悪いだろうに、
(もっと急を要する患者さんが次に待っているかもしれないのに)
これ以上付き添いとの雑談なんぞでお時間をいただくのは
まったくもって忍びないので、モチロン自制いたします。
というわけで、2月に父が亡くなって以来、しばらく心配ないかなと思いきや
中々どうして、インターバルなしに介護っぽい日常を送っています。
今、会計待ち時間でまたこんな雑文を書けるのは
小さいながらも組織で動いているからこそ
フォローしてくれる仲間がいるから
私は好きなようにタイムマネジメントしてまた、付き添いの時間が予約できる。
ありがたいことです。感謝。