知はその姿を他者の姿を借りて現す
タイトルは日経ARIAの小島慶子さん記事にある名言です。
写真は大手小町サイトより引用
・・・本当は名言シリーズに出すべきなんですが、そんなことを毎週やってると、このブログの更新が出来ないので、今回はこちらに書くことにしました(・´з`・)。
※しばらくしたら、名言シリーズにしれ~っと加えよっと
私も、常日ごろから大事に思い、実践中のことは
学びは、知識を仕入れて、実践して、個として身に付けるものだけのものではない。
です。
そして、今回、小島さんは記事の中でこのように表現しています。
知はお金みたいに個人の口座に積み立てるものではない。残高を人と比べて満足する幸せもあろうが、それでは学びにはならない。知は他者とつながってこそ生きるのであり、与え手と受け手は相互に入れ替わり影響しあいながら、富の再分配が行われるのだ
このことを念頭におくと、私が自社メンバーに伝えているインプットはアウトプットすることを想定し、アウトプットは相手のインプットを想像するにつながると思いました。
また、小島さんは以下の様にも表現されています。
己の中から誰かに差し出す言葉が生まれ、相手から未知の書物を受け取った時に、学びは開かれ、何倍にもなって世に還(かえ)っていく。その循環の一部になることがおそらく知の喜びなのではないか
学んだことを、自分の成長、進化のみに活かすことだけで満足するのではなく社会に、
というとハードルが高すぎるとしたら、もしくは、その視点でリフレクションが難しいなら
目の前の人のお役立ちになるか(なっているのか)どうかを気持ちではなく実践したこととその結果で測りつづけることが
大事なのではないかと思う今日この頃です。