このコピーは誰に対してキャッチーになるのか?
日曜日の選挙に向けて、オフィスの周りも自宅の周りも選挙カーが行き交っています。
私がポスターを観るときの着目点は、職業柄?
この人は「誰に」「何を」伝えたいのか?という“伝え方”です。
そして、こちらの↓キャッチコピーを見たときには「ん~?」と非常に気になりました。
『××党 唯一の女性公認候補』
※政治的意図はまったく無いので党名や議員候補者名は伏せさせていただきます
これが「ウリ」になるのですね?
だから、選挙カー、およびポスターのキャッチコピーになっている。
「面白い」と感じ、興味を持ってその候補のブログをさかのぼると、
その候補の3月までのポスターのキャッチは“ 区 ”にダイレクトなモノでした。
ということは4月に入り、ポスター公示のタイミングで、
“ 区 ”にダイレクトなモノよりこっちが「良い」と誰かが意図して
『××党 唯一の女性公認候補』に替わったのだなと推察。
政治は個人の能力だけではどうにもならないところもあるので
「その候補者が何党に所属しているのかは大事」
という選挙民が多いと仮定すれば、所属を謳うことは大切でしょう。
では『××党公認候補』を大きく書くだけで良いじゃ~ん。
なぜ『××党 唯一の女性公認候補』なのかな~。
「議員数的にも、候補者数としても、女性は少ないから女性であることを強調したい」のかな?
でも、なぜ?
この候補者は「え~っと、この人の性別は??」と、
有権者に悩ませるようなお名前でもビジュアルでもない。
…となると、文字でわざわざ強調する必要はない。(見りゃわかるってやつ)
となると、このキャッチコピーには
こんなアンコンシャス・バイアスがあるのかなと思ってしまう。
「この人は、女性なのに、あの、 ××党 から公認を貰っているんですよ」
“女性なのに” “女性だけど” あなたには ××党 の公認を授けましょう。
といわれ、ありがたく拝受してしまうと知らず知らずに「名誉男性」となってしまうのではないか。
この候補者も、こうしたアンコンシャス・バイアスを承知の上で
自分の理想とする社会の実現の手段として、戦略的に「公認」を活用していることを祈ります。