「どのような意味があるか?」より「どのように用いているのか?」

最初に営業期間のお知らせです。
2016年は12月28日まで、2017年は1月5日から始動します。よろしくお願いいたします。
そして、ブログを書くのは2016年今日を〆にしようと思いたち
昨日学んだことを書いてみます。
毎月一回「哲学の会」で学ばせていただいております。
学び始めて、かれこれ5年になりますが、探求し甲斐のあるテーマが尽きません。
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昨日は前月からの続きで、前期ヴィトゲンシュタインの『論考』から
「今、目の前にある事象は伝える(100%意味を伝達している)状態に出来る」かどうかを考えることからスタートしました。
「出来るでしょう」
「いや、無理でしょう」
あなたはどちらのタイプでしょうか?
「え、面倒くさい。どうでもいいじゃん。」
こういう人もいるかもしれませんね。
これを読み、
出来ると思う人は前期ヴィトゲンシュタインのように
「言葉を正しく定義することにより可能だ」と思われたたのではないかと思いますし
無理と思った人の中にはダイバーシティを実践しているので
「人は一人一人違うから100%は難しいでしょう」
・・・と、思われた方が多いのではないでしょうか。
「哲学上の諸問題と言われるもののほとんど全ては、定義の問題に帰着する。」
と言い切っていた前期ヴィトゲンシュタインと
その定義自体のあやうさに気づいた後期ヴィトゲンシュタイン。
「前期には見落としがあるのでしょ?じゃあいいよ」といって、いきなり後期から
学びはじめようとしても真に得たいことが身に付きにくいのが哲学の面白いところです。
振り返ってみれば、自分と事象の関係性は
前期ヴィトゲンシュタインが考えていた「定義(ルール)→意味」という静的なシステム論を
知らず知らずに導入しているなあと。
私は、自分のことを自分で信頼している分(私的世界)の「絶対」を赦しがちになりますが
「私」と「事」の間もかなり曖昧で絶対という表現は不適切なんだな~。
そして、後期ヴィトゲンシュタインは、「言語の意味とはその慣用である」という動的なシステム論。
実際私が使う言葉は「使用」が先にあって、意味やルールは後付けなのです。
※「信号は「青」で渡る。」実際の色は何色と聴かれたら「緑」と答える
書いてて小難しくなってきました。
端的に言って昨日私が得たことは2つ。
①ダイバーシティコミュニケーションの1stステップで大事なのは
相手の話す言葉の「意味」を聴く前に、
相手がどのようにその言葉を「用いているか」を確認すること
② 「私(の認識)」と「事(の状態)」の間にも絶対はない

※「私」=「事」100%には成り得ない。曖昧であることを認識する大切さ
②の部分、自分の曖昧さををしっかり認識することで多様性を受けとめ、受容れやすくなるという
仮説をもっと納得性高く、わかりやすく伝えることが出来るようになることが私の2017年の命題とします。
それでは、皆様、良いお年をお迎えください。