共感と共感的理解の違い

今日は、普段つかっている「共感」について
すこし掘り下げて考えてみたいと思います。
Woomaxは、女性脳は「共感」が大事
と研修でお伝えしているのですが、果たして、本当にそうなのか?
共感とは
デジタル大辞泉によれば「他人の意見や感情などにそのとおりだと 感じること。また、その気持ち。」とある。
neuron.png
では、それってどんな状態?と問われると、
同僚と飲みに行き、上司への不満を聞いて「ええ!ひどいね!その上司ムカつくねー!」と憤慨する。
好きなアーティストのコンサートに行って友人と「あの曲最高だよね!」と盛り上がる。
朝ドラのヒロインに自分を重ねて、ランチ時に「私だったら○○するなー」「私はあそこで▲▲選ぶわ」と談義する。
こうした日常の「感情や思考の動き」をイメージしませんか?
「共感」とは、「感情の共有」なので、
相手が「うれしい!」と感じるときに、「相手はうれしいんだな」と理解するだけでなく自分もうれしくなる体験であり、苦しいときも同じく「相手がつらい」と感じるときに「つらいんだな」と理解するだけでなく、自分もつらくなるという体験です。
これを考えると、私の場合は、
うれしいときは良いですが、つらいときに「他者にも共感してほしい」などという欲求自体がほぼ無くなります。
しかし、心理学でいうところの「共感的理解」はつらいときに相手にしてもらえると
本当に救われるなって思います。
「共感的理解」とはあくまで共感“的”なのであって、共感ではありません。
図にするとこんな感じ
kyoukan.png
管理職研修で、私たちがお伝えしている「共感」は「共感的理解」のことです。
たとえば、部下の無体な言動を前にして、どうしてもそれを受け入れられないこともあるでしょう。
本当は否定したり、諭したりしたいのに、管理職研修で求められたから、無理して<傾聴>して聴き続けます。
ここで真面目な管理職は、「この部下の言ってることを受け入れたフリ」に対して疑問を持ったり、苦痛に思ってしまいます。
これは「共感的理解」ではなく「共感」をしてしまったことによる不具合です。
「共感的理解」は、自分の価値観の中で受容できない言動を、心広く、すべて受け入れるといったシンプルなことではなく、価値観の違いを自分ではっきり認識すること、その上で相手の言うことを受け止めるという複合的なプロセスが必要です。また、その際に「良い悪い」の「ジャッジ」も「あえてしない」ことも重要です。

お互いが、否定した、否定されたと感じない状態をつくってから
「職務の目的に適った最良の一手は何か?」が生まれていくのです。
女性脳は、むやみに相手に「共感」を強要することは危険だということを知ることも重要です。
ビジネスシーンでは「共感的理解」が大事だということです。