自分の中のバイアス・思い込みの枠について考える
先週、LUMINEの「働く女性を応援するスペシャルムービー」と銘打った動画CMが炎上しました。
現在、LUMINEのHPこじんまりとお詫びが載っていて、
その動画も消されており、炎上の中身経緯をご存知ない方はこちらのブログをご参照くださると理解できるかと存じます。
今回のびっくりは、Facebookでもコメントしましたが、制作会社にも、LUMINEにも
何階層もあるであろう決裁プロセスが「これイカンやろ。」と疑問を呈することなく進行したこと。
システムにダイバーシティが入ってなかった、もしくは受容していなかったということです。
LUMINEはもう10年も尾形真理子さんと蜷川実花さんタッグの素晴らしいポスター作ってるわけですから、横でもしっかり連携していただきたいです。
今回のキャッチコピーも深いですね。尾形真理子さん、本当にすごい。
恋は奇跡。愛は意思。
さて、他から指摘されないと(刺激を受けないと)自分の価値観(思い込み)の枠に気づけないというのは世の常だと感じた事例をもうひとつ。
毎週日曜13時スタートの「噂の!東京マガジン」(TBS系)
もう26年続いているこの老舗番組の人気コーナーは「やって!TRY」。
取材班が街ロケに出向き、適当に選んだ若い女性に料理を実演してもらうという内容はスタート時から変わらない。
シューマイを作れと言われて、蒸籠に直火をかけて炎上したり
錦糸卵を金紙卵と理解していて金色の紙を折って作った容器にスクランブルエッグらしきものを入れたり、中々、ぶっ飛んだ〝つわもの”料理を披露する若い女子をさんざん紹介したあと
スタジオで、プロに同じ内容の料理を作ってもらい、「こう作りましょうね!」という教育?するコーナー。
四半世紀脈々と続けているが、ターゲットは「TRY女子の皆さん」と称して
街ゆく「若い女性」のみ、固定、変わらず・・・なのである。
なぜ「若い女性」なのか?
絵的に面白いのは「若い女性」だという理由は何か?
若いも若くないも含め「男性」ならどうなのか?
若くない「女性」はなぜ含まれないのか?
「家庭料理の出来なさ加減を笑う(憂う)目的」として考えたときに透けて見えるモノは
「家庭料理は女性がつくるもの」という前提条件
若くない「女性」は家庭料理を「作れて当たり前」ゆえに「失敗したら笑えない(シャレにならない)」から声をかけない。
若いも若くないも「男性」は家庭料理を「作れなくても当たり前」ゆえに「(失敗しても当たり前で)面白くない」から声をかけない。
若い「女性」は「作れて当たり前」の属性だが、経験値が少なく、作れない人も多いだろう。これって、作れないことをみんなで笑っていい対象だ。
こういったバイアスの積み重ねが四半世紀も脈々と続いており、今も、疑問を持たないで
乗せられて笑っちゃうことにあるような気がします。
何の事前準備もなしに、人前で、いきなり、シューマイやら錦糸卵を、美味しく、美しく作れる人ってそんなに沢山いるだろうか?
新橋あたりで「やってTRY」実際ロケしてみたらどうか。
女性の社会進出とともに男性の家庭での役割をもっと考える時期に来ている日本
OECD加盟国「男性が家事をしないランキング」で堂々3位の日本
日曜日の昼下がり、のんきに「家庭料理が出来ない若い女性」のみを笑っていて良いのでしょうか?
みなさんも自分のバイアス、価値観の枠、思い込みについて考えてみてください。
自分も何かしらのバイアスを持っているはず。
気づくには、違う価値観と触れ合うことが最も大事だと強く思った最近の出来事2件でありました。