父の1回目の召天日です。

父が亡くなり、今日で1年経ちました。早いような、短いような・・・。

私が講師の研修当日の早朝だったのですが、
当たり前に仕事に向かう自分。
研修にご参加の方々が得たいことを得ていただくためのプログラムですから
「こんな日はしんどいだろうか?」と逡巡しながらの通勤でしたが
門をくぐればまったく父の死に対する「悲しみ」は存外になり、

「ああ、お志事ってこういうものなんだな~」
ってしみじみ思ったり、

翌日以降の出張は代わって貰えたので
「一人じゃないってありがたいわ~」
としみじみ感じたなあ~とか想い出しております。

祖父も2月5日に亡くなっており(当時94歳)
2月は私の誕生月でもありますが、
なんだかしんみりしてしまう月でもあります。

父は82歳で亡くなったわけで
祖父と比べると早い?とも思うのですが
WHOが発表している日本人男性の平均寿命(2013年)は
79歳なので、「まあ、長生きしてくれたよね~!」とも思います。

私は両親が38歳の時の子どもなので、
同級生のご両親よりは早くお別れが来るのでは・・・
と小学生のころはそれなりに覚悟していた(笑)ものです。

が・・・あっという間に”いい大人”になってしまった現在
今年84になる母は昨日「健康診断の結果、よかったわ~」と
るんるんしておりました。母は昔から怪我はあれど大病なく健康です。

専門職として企業で責任ある仕事をバリバリ働き、
舅、姑付きの家事も完璧だった(お弁当で夕飯の残り物は使われたことがない)
母は病気や更年期になる暇がなかった(と表現するにふさわしい)し
それが無意識的に今も続いているんだろうな~と思います。
何はともあれ、元気でいてくれてありがたいです。

ここで、豆知識

我が家はキリスト教(プロテスタント)なので、
命日とか、一周忌とかの法要はありません。
一般的な命日は「召天日」といいます。

※「昇天」という字はイエス・キリストのみに使われます。

残された人には寂しいけれど、キリスト教的には
「死ぬこと」は神様のお側に行けることなので
当人にとっては喜ばしいこと…として捉えます。

イエスさまが、天国でその人のための家を建て終わったら、召される

・・・という概念。
その昔、幼少のころ、この牧師様の説教を聴いたとき

「へぇ、さすが大工の息子だな~。世界的に人口増加だから
毎日毎日突貫工事なんだな~。」

とかファンタジーに思いを馳せました。

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大工仕事をするイエス・キリスト